2016年4月10日日曜日

To clip,not to clip


このエントリは一旦外しました。


何気なくカウンターを見たら、アクセスが急増していてびびったのですが、どうやらツイッター経由で何人かの方が来られたようです。おそらくベテランクライマーの方がこのエントリを見てくださったようで、このURLとともに、厳しい批判をいただきました。
そこからの流入だと思われます。

おそらく誤解に基づく反応だと思われることと、僕自身に対して直接メッセージが届いているわけでないので、アマチュアクライマーの一個人ブログ(それもこんな過疎ブログ)における意見を、いちいち引っ込めるのはどうかと最初は考えました。

このまま静観しようか、もしくは何らかの説明をするべきか。


僕は批判にさらされたからと言って、納得しないまま意見を引っ込めるべきではないと考えています。クライミング界の健全な発展ということも含めて、何もものを言えなくなることは決して良くないと思うのです。意見が違ったら話し合えばいいことですし、フェアな批判自体は気にするべきじゃなく、歓迎するべきだと思っています。(少なくとも個人ブログで言っているレベルにおいては、ですが)



それでも引っ込めようと思ったのはいくつか理由があります。

・このエントリがプチ炎上していることで、仲間にも迷惑になる可能性があること
 詳しくはあげられませんが、心配からアドバイスをくれたり、やりとりをさせていただいた方が数名いました。

・誤解を生みかねない表現をしていたこと
 今回のエントリは、「ボルトを使う」という開拓スタイルに文句をつけたつもりはなく、「ボルトがあるから迷ってしまう自分の弱さ」について書いているつもりです。タイトルも、「ボルトを打つべきか」ではなく「クリップするべきか」というテーマでした。

 本当に「開拓者として登る」ことと、「初登者のつもりで登る」ことは全然異なると思って書いています。ここにラインを見出したと言うことも含めて、開拓者の労があった上での仮想的な「初登ごっこ」というのが前提です。ただ伝える技術が稚拙すぎて、開拓者に敬意を欠いているように取られたのだとしたら、それは書いた人間として非常に申し訳なく思いました。

・最後に公共空間であること。
この極めてマイナーなブログを、知らない人が見る可能性、それも開拓者本人や、その経緯を知っている近い方が見るという可能性を全く考えていませんでした。リオネルメッシについて僕がネットでつぶやいても本人は見ていないだろう、というのと同じ意識です。とはいえネットは公共空間。クライミング業界は狭いコミュニティーだから、見てしまうことはありえます。その認識についてはかなりうかつでした。



最後まで読んでくれた方には感謝です。

このブログは(常々書いているように)個人の、それもプロではなく素人の岩日記です。心も力も弱いクライマーが、自分の失敗や反省を晒すことで、自分の意識の再確認や、モチベーションの維持につなげようというのが最初の意図です。それに加えて、顔見知りの仲間たちと少し刺激や情報を交換できたらいいな、ということもありました。

どうかこの意図を理解していただき、暖かく見守っていただけると幸いです。
また何かご意見があれば、コメント欄でも知り合い経由でもかまわないので直接言っていただければとても嬉しく思います。

長文を読んでいただいてありがとうございました。

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